3週間ほど前
坂本美雨さんの旦那さんが
来店してくださったのですが
たまたま「ソリッド・ステート・
サバイバー」が流れ
「これ僕の義理の父です」と
ご本人から自己申告がありました。
その時も教授の病状に関する話は
一言も出なかったので
持ち直したのかなーと
思っていたいた矢先の昨日の
悲報でした。
教授御本人はピーターパンには
結局一度もいらして
いただけませんでしたが
楽屋や滞在先のホテルで
3度ほどお会いし雑談をしました。
YMOのマネージャーの
故大蔵ひろしさんが
フォノグラムの宣伝マン
だった時代からピーターパンの
お客様だったので
特別な配慮をしてくださった
おかげです。
実際の教授は
「気取りたいけど
気取り切れない」
愛すべきキャラクターでした。
忘れられないエピソードは
たくさんありますが
ひとつ御紹介します。
1980年代のピーターパンで
定期的に行われていた
「デモテープ・デイ」。
この「デモテープ・デイ」は
仙台のアマチュアバンドや
ユニットが宅音した
カセット・テープを
ピーターパンのお客様全員で聞き
ジャッジし優勝者を
決めるというピーターパンの
月一回の名物イベント。
その何回目かの優勝者
「センチメント」を
教授が大絶賛してくれたんです。
「センチメント」のテープを
聞かせその良さがわかった
業界人は教授たった1人でした。
ちなみに「センチメント」は
前回ブログで御紹介した
デペッシュ・モードの
日本版的サウンドを持った
仙台出身の2人組でした。
その2人が昭和41年の
ヒノエウマ生まれで
この生まれ年の人たちが
いかに芸術的才能に
恵まれているか等々
脱線に次ぐ脱線で
おおいに盛り上がったのが
忘れられません。
改めて教授RIPです。